KEY OF LIFE

お茶好き・さわが日々心に留まったことを綴ります

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普通のなんでもない日に行く杜

私の好きな詩人、長田 弘さんがご紹介下さっていました

武蔵野の原生林がそのまま残っていると思われている明治神宮の森について
実は、上原啓二さんという方が計画的に作られたものだったということで。。
そのご著書『人のつくった森 明治神宮の森〔永遠の杜〕造成の記録』より
抜粋しながら書いていらっしゃいます

19日付け、中日新聞夕刊紙上 「小さな本の 大きな世界」より



「昔の神社は社殿はなく、樹林をもってこれに代えた。神社と書いて
 杜と読ませた例は万葉集にある。祭神を祭るべき本殿を欠き、樹林
 そのものが神聖な神座であった。人の気持ちは環境に支配される。
 敬虔、尊厳といったところでそれをかき乱す周辺の事情があっては
 その心懐に達し得ない。神社の森林はこの目的に添うよう存在する 
 のである」

「庭園的領域を除き、境内の構成木は「過去において、この地方の植生を支配した
 原生林状態をなすべきものである。何年かかってもよいからこの状態に導かれる
 まで植栽を行う。」

(中略)

「落ち葉を掃いたり、集めたりしない、もちろんそれを焼き捨てたりせず、
 樹下に溜めておく。」

 もし、普通のなんでもない日に、明治神宮の森にゆき、樹木たちと
 いくばくかでも時を共にすれば、こうした森に託された祈りのような
 言葉が、いまどんなに簡明な真実を指しているかが、
 きっときれいな空気を吸うように、身体の中に入ってきます。



*)注 「」内が上原さんの著書内の言葉、それ以外の引用文が長田さんの言葉です


その昔、何でもない日の早朝に、明治神宮を歩いたことがあります
秋の終盤に差し掛かった頃のちょうど良い季節で、紅葉した木々とキリッとした空気
8人でざわざわしながら訪れたのに、気づいたら誰もしんと言葉なく佇んでいました

それ以前にも、地元の熱田の杜や、お伊勢さんの杜によく行ってたのですが
確かにあの空気はまた違った清澄さがあったように記憶しています

「森林浴」というような言い方はしたくない何か。

このコラムを読んで、また「何でもない日」に出かけたくなりました
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[ 2010/01/21 16:31 ] 日々のこと:季節・風景 | TB(-) | CM(0)
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